九州大学箱崎キャンパスの移転も完了し、今後の街の変化が注目されている福岡市東区の箱崎エリア。その一隅に1932年(昭和7年)に創業された銭湯「大学湯」、戦時中の激動の時代から長きに渡り地域に愛され続け、惜しまれつつも2012年に閉場。その80年の歴史に幕を閉じた「大学湯」の記憶と場を受け継いで、新たな活用をしてくださる入居者を募集することになりました。
(※現在、修繕計画の見直しにより、いったん募集停止中となっております。)
(現在の大学湯の建物。その歴史は見た目にも十分に伝わってきます。) 時代の移り変わりをみつめてきた銭湯
1932年(昭和7年)に創業した銭湯「大学湯」。僕からすれば、それはもう歴史教科書の中の世界。創業前年には満州事変、1945年に第二次世界大戦の終戦ですから、戦時中の激動の時代から戦後復興や経済成長期、そして平成の現代まで世の中の移ろいを見つめてきた大学湯の歴史もかなりのものです。
「当時、東京から福岡に戻ってきた両親が、父兄弟が福岡の別の地域で銭湯を営んでいたことがきっかけで始めたのが大学湯でした。」
と、懐かしそうに当時の思い出を語って下さったのは、創業者で名物オカミと慕われた石井フミさんの娘さんにあたる博子さん。現在82歳の博子さんも生まれたのは大学湯が開業した4年後、その記憶を辿り、昔話を少しだけ聞かせていただきました。
(大学湯の新聞記事や番台に座るお母さまの写真が大切にスクラップされてありました。) -創業初期は、まだ小さな幼少期だったんですよね?-
「そう。だから両親が銭湯を始めたときはまだ生まれてないし、子どものときのことも薄っすらとしか記憶にないんですけど。7年(昭和)に始まって、11年に私が生まれて、でもね、翌12年に戦争で父が亡くなってしまって・・。だから母は、女手一つで銭湯も4人兄弟の私たちの子育てもして大変な苦労を重ねてきたと思います。」
「戦時中や戦後は、人手不足だったり燃料不足で、遠くの街まで母がリヤカーをひいて石炭をとりにいったり、そんな時代もありました。私たち子どももよく手伝いをしましたが、いちばん賑やかだった時代は、人が溢れかえって浴場はもう芋を洗うような状況だったんですよ。たくさんの人がお風呂に入りに来ていたのを覚えています。」
-そんなにたくさんの人に愛される場所、銭湯は地域にとってどんな存在だったのでしょう?-
「その時代はね、今と違って家にお風呂がなかったんです。だから地域の人みんなが集まる場所でしたね。途中からは家にお風呂があるのが当たり前になっていったけど、それでもやっぱり銭湯が良かっ!て言って日課のように来てくださる常連さんもいたし、それにここはご存知の通り九州大学があって(現在は移転)学生街でした。まわりには下宿がいっぱいあって、学生さんたちもたくさん来ていました。名前も大学湯でしょ。」
「地域の人にとっては、なんだかここに来れば誰かに会えるって言うか、常連さんなんかはお風呂に入ってる時間より脱衣所で話し込んでる時間の方が長いくらい(笑)。だから誰かが顔出さないと風邪でも引いたんじゃないかって言って心配したものです。そんな憩いの場所だったような気がしますね。」
(今はもう誰も座ることのない番台ですが、写真のお母さんの姿が脳裏に浮かびます。) -時代とともに銭湯も減っていきましたが、2012年に大学湯も閉場されました。-
「そうですね。やっぱり時代も変わって、お風呂は家で入るのが当たり前なんだから、もう事業としては赤字ですよ(笑)。それでも母は、昔から来てくれる常連さんがひとりでもいる限りはやめられないって。もう母にとっては人生そのものというか生きがいですよね。でも常連さんたちも歳をとって亡くなられたり、だんだん寂しくなっていきました。」
「それに街もずいぶんと変わりました。下宿や古い家がどんどん無くなって、そこにマンションがたくさんできて、新しい道路ができて。だから顔見知りもどんどん減っていったけど、母が生きてる間は頑張ろうって続けてきました。母が96歳で他界して、それからも少し頑張っていたんですが、今度は私たちも歳をとってきてますからね、親戚内で話し合って2012年に2月に閉めることになりました。」
(その役目を終え、静かに時間が止まったかのよう。) 大学湯の記憶と場を受け継いで欲しい
いろいろなお話を聞かせていただいた約1時間、博子さんの言葉のひとつひとつにお母さまの大学湯への想いが伝わってきたのがとても印象的でした。
そして今回、この大学湯の建物を受け継いでくださる賃貸の入居者を募集させていただくことになりました。今となっては、福岡市内でこのような建物が残っているのはとても貴重です。
小さなドアを開ければ、出迎えてくれるのは昔懐かしい番台。今も残る木製のロッカーや名入の鏡が、タイムスリップしたような感覚。熱気を逃がすためにせり上がった銭湯特有の天井の窓からは優しい光が降り注ぎ、そのレトロな佇まいは今も強い存在感を放っています。
(劣化はあるものの、あるべき姿を残した浴場内。) なかなか出会えることのできない希少な建物、いろいろなアイデアをもって新たな命を吹き込んで欲しいと思いますが、その趣きと同時にそれなりの劣化や傷みもあるのが現状です。ただ、元銭湯と言う類まれなる個性的な空間は、見ているだけでもワクワクさせられてしまうものがあるはず。使う人次第でどんな場所が生まれるのかが楽しみです。あとは、大学湯に関わらせていただくにあたって僕からのお願いは、この建物に詰まった歴史や想いを理解して大切に使っていただけること、そして近隣に迷惑をかけないこと。
(浴場の天井部、熱気を逃がす特殊なつくりです。) (いろいろな思い出の詰まった大学湯の建物内。) 大きな転換期を迎える箱崎エリア
今、箱崎の街は九州大学の移転をきっかけに、大きな転機を迎えています。大学通りもかつての湧き上がるような賑やかさからは離れ、学生の街とともにあったお店の中には惜しまれながら閉店してしまうものも少なくありません。
(移転が完了し解体作業が進む九州大学箱崎キャンパス跡。) ただ、そんな街にできていた余白に新しい風も吹き始めています。アートフェスの開催をはじめ、閉店した居酒屋がデザイン事務所やアトリエとしてリニューアルされたり、ゲストハウスがオープンするなど、箱崎の文化を大切にしながら、これからの街の変化に向き合おうと言うコミュニティーや場所ができてきています。
今後の大学跡地の展開にも目が離せませんが、変わりゆく箱崎の街を歩いていると、今こそこの街のローカルにもっと目を向けるべきときなのかもしれない。そんなことを思います。
そして大学湯も、この街の記憶を残す貴重な場所のひとつとして、これからの箱崎とともに新たな機能を持って次なるステージへと歩んで行って欲しいと願います。
※大学湯については、個別ご相談のみの受付となります。ご興味ある方は、まずはお気軽にお問い合わせください。
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